牧伸二さん、ご冥福をお祈りします。

ウクレレ漫談で知られる芸人の牧伸二さんが、29日未明に多摩川に転落して死去したとの悲報がありました。
牧さん関係の記事をまとめました。

これらの記事を見るにつけ、故人の人柄が偲ばれます。
多くの人に愛されていたんだなあと。

自殺では、という報もありますが、今はただ故人の逝去を悼み、ご冥福をお祈りしたいと思います。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130430-00000017-spnannex-ent
牧伸二さん自殺 78歳、ウクレレ漫談 公演姿見せず多摩川に投身
スポニチアネックス 4月30日(火)7時1分配信

 ♪あーあ、やんなっちゃった…と歌うウクレレ漫談で知られる芸人の牧伸二(まき・しんじ、本名大井守常=おおい・もりつね)さん(78)が29日未明、東京都大田区の丸子橋から多摩川に転落、搬送先の病院で死亡が確認された。自ら飛び降りたとの目撃情報などから、警視庁田園調布署は自殺とみている。牧さんは28日午後、東京・浅草で公演を予定していたが、出演時間になっても姿を見せず、事務所関係者らが捜していた。

  田園調布署によると29日午前0時15分ごろ、「男性が欄干から飛び降りた」と、目撃した通行人が近くの交番に届けた。田園調布署員が川に浮かんだ男性を発見し、牧さんと確認。病院に運ばれたが間もなく死亡が確認された。水深は約60センチと浅く、胸部を強く打ったことで死亡した。

  丸子橋は大田区と川崎市の間にかかり、牧さんは大田区側から見て左側の歩道の中央付近から飛び降りた。欄干の高さは約1メートル10。普段使っていたとみられるつえが欄干に立てかけられていた。

  自宅は現場近くの大田区内にあり、遺書は見つかっていない。同署は、通行人の話などから自殺とみて詳しい状況を調べている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130430-00000019-spnannex-ent
自宅前で次女「本当かという思い」友人「正月は明るい感じだった」
スポニチアネックス 4月30日(火)7時1分配信

 ◇牧伸二さん死去

  大田区の自宅前には正午前後から報道陣が集まった。次女の真理子さんも「ただただ、びっくりするだけです。本当なのかという思いです」と信じられない様子。

  50年来の付き合いという男性は「正月に会ったときは、明るく、ざっくばらんな感じでした。奥さんは普段通りに話してはいます」と明かした。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は妻良子(よしこ)さん。後日、しのぶ会を開く。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130430-00000013-spnannex-ent
自己流でウクレレ習得 脳出血で倒れるも復帰、慈善活動取り組む
スポニチアネックス 4月30日(火)7時1分配信

 ◇牧伸二さん死去

  牧さんは1934年(昭9)9月26日、東京都で生まれた。漫談の牧野周一さんに憧れ、57年に牧野さん司会のラジオ東京(現TBSラジオ)の素人演芸番組「しろうと寄席」に出場。連続で勝ち抜き、牧野さんに弟子入りした。

  自己流でウクレレを習得し、60年に文化放送「ウクレレ週刊誌」の司会を担当。社会性の強い風刺をウクレレ演奏に乗せて明るく歌い、最後に♪あーあ、やんなっちゃった、あーああ、驚いた…で受ける「やんなっちゃった節」で一世風びした。63年から15年間、当時のお笑い界の登竜門「大正テレビ寄席」(日本教育テレビ=現在のテレビ朝日)で司会を務め、番組を通じて慈善活動にも取り組んだ。

  映画やテレビドラマに俳優として出演。99年に東京演芸協会会長に就任、03年に文化庁長官賞を受賞。02年5月に脳出血で倒れたが、リハビリを経て、同7月に復帰。11年7月3日には、大田区の自宅で火事があり、消防車が出動。1時間ほどで鎮火し、室内の一部が焼けるぼやだった。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130430-00000005-spnannex-ent
山手線内でひらめいた「♪あ~あ、やんなっちゃった…」で一世風び
スポニチアネックス 4月30日(火)7時0分配信

 ◇牧伸二さん死去

  一世風びした♪あーあ、やんなっちゃった…は山手線の車中でひらめいたとされる。師匠の牧野周一さんから「なにか楽器を持ってやった方がいい。ウクレレを使った芸人はいないから、ウクレレがいい」と勧められ、ウクレレを手にした。

  ハワイアンのスタンダード曲「タフワフワイ」を弾けるようになり、歌詞を考えようと、山手線で乗客の会話を聞き続けた。サラリーマンやOL、学生ら多くが「やんなっちゃった」と愚痴る姿に「これだ!」とひらめいたという。このフレーズを歌う前に、痛烈に世相を斬るスタイルは大当たり。80~90年代もレゲエやロック調でアレンジして若い世代にアピールするなど、常に挑戦を続けた。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130430-00000021-spnannex-ent
「昭和九年会」藤村俊二「言葉出ない」山本文郎アナ「なんでなんだ」
スポニチアネックス 4月30日(火)7時1分配信

「昭和九年会」のメンバー:牧伸二さん、玉置宏さん、長門裕之さん、橘家円蔵山本文郎さん、藤村俊二坂上二郎さん、睦五朗

 ◇牧伸二さん死去

  牧さんは、昭和9年(1934年)生まれの男性芸能人で結成した親睦会「昭和九年会」のメンバーだった。会を通じて長く親交のあった藤村俊二(78)は「言葉もでません。マキシンちゃんと自殺が結びつきません。天国でお幸せでいらっしゃることを祈っております」とコメントした。

  夫人同士も交流があり折に触れて連絡を取り合っていたという。藤村の夫人は「お元気と聞いていました。入院した時も、病室で患者さんにウクレレ漫談を聞かせていたそうです」と明かした。

  昭和九年会は、76年に愛川欽也(78)や長門裕之さん(2011年死去)が中心となって結成。メンバーはほかに、大橋巨泉(79)、財津一郎(79)らで、定期的な集まりやチャリティーイベントを行うなど、結束の固さで知られる。毎月9日に藤村がオーナーを務めたワインバーで定例会を開催していたが、10年12月に閉店してからは集まっていない。

  メンバーでフリーアナウンサー山本文郎さん(78)も「ショックです。なんでなんだよ、しんちゃん。どうしたんだよ」と驚きを隠さなかった。「あったかい人で、芯は本当に優しい人、常に相手の立場に立って物事を考える人でした。よっぽど衝撃的なことがあったのか。なんか行き詰まっちゃった、追い詰められちゃったのかな」と語った。

  10年は玉置宏さん、11年は長門さん、坂上二郎さんが相次ぎ他界した。愛川は、長門さんの葬儀で「昭和9年生まれのやつ、もう死ぬのやめろ!って言いたい」と語っていただけに、関係者は「自殺というのも信じられませんし、皆ショックを受けています」と語った。

  ▼漫才協会会長青空球児 青空球児・好児がまだ駆け出しだったころ、お笑い界の登竜門的番組「大正テレビ寄席」に初出演し、司会で当時大スターだった牧さんに「面白いじゃないか。頑張れよ」と優しく声を掛けてもらった。番組からは多くの人気者が誕生し、牧さんは戦後の演芸界の救世主だったと思う。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130430-00000016-sanspo-ent
内海桂子、牧さん死去に絶句「冗談じゃない…」
サンケイスポーツ 4月30日(火)7時0分配信

 ウクレレ漫談家牧伸二(まき・しんじ、本名・大井守常=おおい・もりつね)さんが橋の上から多摩川に飛び込み、死亡したことを受け、生前親しかった芸能人は29日、一様に驚きを隠せなかった。牧さんと同じく東京・浅草を活動拠点とする漫才協会名誉会長の漫才師、内海桂子(90)は「死ぬなんて冗談じゃない…」と絶句。同協会会長の青空球児(71)らも故人をしのんだ。

  牧さんが東京演芸協会の会長だったこともあり、古くから付き合いがあった内海は最近も会合で顔を合わせ、「頑張っているね」と言葉をかけたばかりという。

  2002年に牧さんが脳出血で倒れた際、公演の代役を頼まれたほど親しい関係。「もちろんOKしたんですよ。そしたら、牧ちゃんが奇跡的に回復し、出演できることになりまして。本人から『お世話になりました』と電話をもらいましたよ」と振り返った。

  1960年代に「あ~あ、やんなっちゃった」でブレークした当時についても詳しく、「売れっ子のときは1日、3~5軒を渡り歩くほどだったけど、仕事の愚痴を聞かされたことは一度もなかった。素直ないい人だったんだよ」と述懐。内海は「死にたくなるようなことがあったのかね…。寂しいし、残念だよ」と声を落とし、故人をしのんでいた。